追悼ってなんだろう

個人的には問題が渋滞して疲弊した、
日本的には改元に祝賀ムード溢れた、
2019年5月1日。

 

旧い戦友が永眠していた。


まあ、「戦友」とは勝手な見方で。

正確には「古い知人」だろう。
昔の昔、プラベでは一度友人達と酔っ払った挙句、我が家に来た事がある程度。
届いたばかりの体脂肪計で代わる代わる計測して遊んでた中、彼が桁違いに低い5%を記録して仰天させられたのを強く覚えている。

なんかの間違いか?と何度も測っても、5%。
「ハングリーが過ぎんだろ!」「大丈夫かオイ!」そんな感じで笑ってたけど、まさかこんなに早く逝ってしまうとは。

 

20数年前、私がまだ只管に仕事と闘えていた頃。

極近いフィールドに彼は居た。
社会の上辺底辺の隙間で。

勝ち組と負け組の間で。

新宿や渋谷の片隅で。


彼は我武者羅に奔走し取材し執筆し。
恥も外聞もなく「何者かになりたい人生」に陶酔し切っていた。


なんと表現すべきだろう。
「人生耽溺中毒者」「永遠のワナビー八段」『ヤサグレロマンチスト免許皆伝」?
呆れるほど青臭く、ゾッとするほど鼻が利き、妬ましいほど己に酔える。
そして何より動ける奴。
そう、大言壮語を有言実行、七転八倒トライ&エラー上等!

ハイエナといえばハイエナ。

雑草といえば雑草。

だけど。
例えるなら、物凄い速さで転がり続けるのに、いつまでも削れない、硬く小さく尖った石。

 

かたや此方、病気に負け尻尾を巻いて

夢や仕事から逃げた臆病者(チキン)。
安全地帯に甘んじ障害者である事を受け入れきれずに生きてきた。
例えるなら、ゆっくりゴロゴロ転がり回り、確実に丸くなってく癖にまだデカい、

脆い乾いた泥の塊。
残念ながら未だに光る兆候を見せない。
ドチャクソダッセェ。

 

彼は私が忸怩たる思いを抱えたままに

諦めたあの世界で。
20年余りずっと。仕事に向き合い、

踠き、足掻き続けてて。

時折見かける彼の活動に
「あいつ、頑張ってんなぁ」と

ササヤカな羨望と尊敬の念を抱いていた。

 

まさか
死んでいたなんて。
まさか、嘘だろ。
なんだよそれ!!

 

安っぽい、薄っぺらい、
セリフみたいな言葉しかでてこねえよ!!!

 

 

なんと言うのだろう。
この悲しさ。虚しさ。情け無さ。

 

たった9ヶ月程の内に!
彼奴は知らない間に障害者になって。
目覚めて直ぐから、障害とさえ闘い。
直ぐに健常者と障害者の違いを見切り。
必死に夢を追い続けて。

そしてあっという間に、
逝ってしまった。


マ?

なんなんだよ、こちとら20年障害者やってて、

この半年でやっと!

障害者と健常者の違いを認識したばかりだよ!
やっと障害者として歩み始めたばかりだよ!
愚鈍にも程があんだろ、カタツムリかよ俺。

 

うわぁもう一人称も文体も情緒不安定ハンパない!

溜息。

 

兎に角。

 

反吐が出そうな黒歴史の闇から

スッと抜け出し、一番乗りで
本当の星になった彼の冥福を祈ります。